【5分で読める】韓国で犬を食べた話【ユソンチッ】

どーも

 

みなさんは韓国の犬食文化を知っていますでしょうか

日本で養鶏場や養鶏場を設け、鶏肉や豚肉を食べるように、韓国では養犬場を設け食用の犬を市場提供しています。

今回はそんな犬食文化を身をもって体験した話。

 

目次

 

韓国ではみんな犬肉を食べるのか?

 

犬食文化といっても、今ではあまり一般的ではなく地方で何か特別な日にスタミナ料理として出されたり、若い人はあまり食べないし犬食への反対の声も多くあるそう。

もともと農耕社会での貴重な高タンパク源としての犬肉だったようだが、安定した食肉産業の発展、文化的な動物愛護の声の高まりから、犬肉店自体もかなり数を減らしているらしい。

 

なかのいい韓国の友達に「犬肉食べてみたい」と言ってもだいたいチョイ引きかどん引き。俺だってただ体験してみたいだけさ。あんまりいい気分はしないけどさ。

 

 

と、いうことでここまできたからにはやらなければならない。

レストランを調べて犬肉を食べに行くことにした。

 

韓国のどこで犬肉を食べられるのか?

ソウル市内でも犬肉を提供しているレストランは多くないようで、今回は日本人のブログで見つけた「ユソンチッ」に行ってみた。

tabelog.com

親日のにーちゃんがあたたかく出迎えてくれた。

メニューを見ると犬肉と鍋を一緒に食べるポシンタンという鍋があったのでそれを注文することに。

 

いよいよ犬肉の登場だ。

 

余談ですが僕の家は生まれた時からずっと犬を飼っており、犬と一緒に育ちました。かわいいと思う気持ちももちろん持っています。

ではなぜ、食べるのか。「犬の肉を食うなんて頭がおかしい、いかれてる」と、自分の身をもって考えず無責任に批判したくなかったらです。

 

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犬肉はおいしいのか?

はこばれてきた犬肉。いざ一口。

あれ?意外とおいしい?

若干の臭みやえぐみはあるものの、一緒に食べるゴマや、キムチのおかげであまり気になりませんでした。

 

そのままパクパクと食べ進めるもだんだんハシが重くなる。

 

あれ?美味しくなくなるのはやくね?

どうしても少し感じる臭みとえぐみがボディーブローのようにじわじわと味覚のしんどさを蓄積し、さらにやはり「あのかわいいの権化である犬を食べている」というクソ罪悪感で後半はちょっと完食が辛かったです。

 

結論:もう犬食べない

若干口に合わなかったのはもちろんですが、それは別のうまい店を探せばいい話。

それよりも胸につっかえた”罪悪感”についてひもといて考えてみたいと思います。

 

なぜ犬肉を食べるべきではないか

まず人間が食べるものはだいたい以下の通り

虫 🐛
爬虫類・両生類 🐍🐊🐸
甲殻類 🍤
魚介類 🐟🐙
鳥類 🐣🐓
★哺乳類
ok 🐷🐴🐑🐗🐄🐂
depends 🐰🐈🐕🐬🐳

何が食べていいもので、何が食べるべきではないものとされるでしょうか。

以下、考えてみた判断基準と順番です。


①タンパク源として必要な場合はok(北極のアザラシ)、害獣はok(猪・鹿)、すでに普及してればok(馬・羊)、必要犠牲として認定されている場合はok(豚・牛・鶏)

基本的に人間は生きる上でタンパク源を必要とします。現代において、多くの役割をになってくれているのは豚・牛・鶏でしょう。

山深くになればそのタンパク源がイノシシや鹿、モンゴルなどの草原・砂漠地帯では馬や羊、北極などではアザラシとなってその役割をにないます。


②それが↑を踏まえて食べる必要があるかどうか(→ゲテモノor狂気へ)

 

たとえば牛・豚・鶏などのタンパク源が安定的に確保できる場合、カエルや昆虫・猫などは食べる必要性が少ないといえます。

もちろんその地域の発展によって必要性は変わるので、必要性が無くなったあとに文化として残っているものがゲテモノとして扱われているのかと思います。


③それが仲間食い・仲間殺しになるかどうか(狂気)

最後に。カエルはゲテモノで猫・犬を食べることはなぜこんなに胸糞が悪くなるのか。

それが広義において共食いにあたるからだと思います。

犬や猫は長い間、狩猟や放牧・ペットやさらに言えば家族として人間と歩みをともにしてきました。

その意味で彼らを食べることは「仲間を食べること」に近いのかもしれません。特に食肉産業も安定し、高い文化水準をもつ先進国にとっては余計その定義付けが容易になります。

そうなると「なぜ仲間を食べてはいけないのか」という問いが残りますが、これは道徳的な問題は含んだ上で種の保存の問題になるかと思います。

仲間同士で共食いをしていたら動物の本能であり目的である、「自分の種の子孫をより長く、より多く残す」ことを阻害してしまいます。

その動物の本能に基づく命令は、逆らった時に嫌悪感を感じさせるのかも。

 

そういうわけで犬肉をたべたときあの抵抗感を感じたのかもしれません。

 

最後に

 

もちろん①のタンパク源として必要かどうかは状況によって変化します。

雪山で遭難して餓死しそうなとき、先に倒れた知人の肉を食べなければいけない時が来るかもしれません。

でもそうならない限りは「仲間」にあたる種を食べることに嫌悪感は禁じ得ないと思います。

 

【再】結論:もう犬食べない

 

以上

 

こば